【裁く時】(2)その時「被告」は…自白調書疑った陪審員
「絶望的だ」
被告席に座った安次富(あしとみ)寛助(73)=沖縄県宜野湾市=は思った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090119/trl0901192242030-n1.htm
昭和39年9月、米国占領下の沖縄で開かれた陪審裁判。当時29歳。乱闘で米兵1人を死亡させ、1人に重傷を負わせたとして傷害致死と傷害の罪で起訴されていた。
飛び交う言葉はすべて英語。内容が理解できない。「絶対有罪になる」。同じく無罪を主張して闘っていた他の3人の被告も心細い心境だっただろう。
不安を増幅させたのは、裁判官席に向かって右側にいた陪審員の男女。伊佐千尋(79)ら日本人4人、米国人ら8人の構成だったが、安次富の目には「全員外国人にみえた」。
法廷で検察官が提示した物証に見覚えがあった。事件当夜、護身用に手にした鉄筋。だがこれで米兵を殴ったわけではない。暴行にも加わっていなかった。
陪審員が鉄筋を手にとり、血痕が付着していないことを確認していた。結局、証拠採用されなかった。
「正しい判断をしてくれた」。薄暗い法廷に、一筋の光明が見えた。
× × ×
写真店を経営していた安次富は事件当夜、同年代の写真店の店員1人とタクシー運転手2人の計4人で繁華街に繰り出した。
2人が先に帰り、飲食店に残った安次富に、別の店の女性が「友達が外国人に殴られている」と駆け込んできた。あわてて助けに行くと、米兵と友人2人が乱闘になっていた。
「やめろ」。間に入ると米兵にけり飛ばされた。友人の1人は頭から血を流していた。しばらくして4人は現場から離れた。
帰宅後も近くの現場から罵声(ばせい)がやまない。様子を見に行くと、見知らぬ人間が同じ米兵らとけんかしていた。「もうこのへんにしとけ」となだめているうちに「警察が来る」とだれかが叫び、一目散に逃げた。
帰宅後、弟から警察が自分を捜していると聞いた。いぶかしがりながら出頭した。「4人で米兵を殴ろうと計画、殺した」として突然、逮捕された。
「自分はけられただけ」と訴えた。だが、警官は「殴り返しただろう」と聞く耳を持ってくれなかった。
「みんな、お前が殴ったと言っている。罪を認めなければ、ずっとここにいることになる。相手が米兵だから死刑になるかもな」。脅迫めいた取り調べが連日、深夜まで続いた。
「もう、どうでもいい」
絶望感を深め、内容を確認しないまま調書に捺印(なついん)した。調書は「間違いない」と罪を認める内容だった。
× × ×
自白調書は裁判官が証拠として採用していた。
公判後の評議で、調書の内容を「作文だ」と訴えた伊佐に対し、陪審員の1人は「裁判官が採用したものを全然信用しないのか」と反論したという。
伊佐の粘りが功を奏し、4人は傷害致死で無罪、傷害罪のみで有罪が認定された。安次富1人だけ執行猶予となった。
「有罪は納得できなかったが、もし裁判官の裁判だったら、調書をそのまま採用して傷害致死罪で重い実刑になっていたかもしれない」と安次富。他の3人も「殴ったのは事実」と判決を受け入れた。
現在の刑事裁判は、法廷での供述よりも、捜査段階に作成された供述調書をもとに有罪判決を下すことも多い傾向から、「調書裁判」といわれることがある。
その弊害は国民参加で是正されるのか。安次富は裁判員制度が冤罪(えんざい)の被告を救う「一里塚」になることを願う。=敬称略