憲法草案に「陪審制を」 弁護士らの願い、63年後結実
1947年5月3日に施行された日本国憲法が「草案」段階だった前年の46年5月、当時の弁護士たちが、陪審制を憲法の条文に書き込むよう修正を求めた文書の存在が明らかになった。「裁判も国民のものでなければならない」という彼らの願いは、63年を経た今月、裁判員制度として実現される。
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY200905010335.html?ref=rss
研究者の間では、陪審制の導入を求めた修正案として、46年6月に日本弁護士協会と東京弁護士会が連名で公表したものが知られている。今回見つかった文書はこれに先駆けて書かれた。
この修正案は、弁護士の清瀬一郎氏が会長をつとめた「司法改革同志会」が、46年5月17日にまとめた。ガリ版刷りでB4判7枚。国立公文書館が所蔵する東京裁判資料の中にとじ込まれていた。
修正案は、政府草案について「平和日本建設の基本法・最高法たるにふさわしい」と高く評価しながらも、司法分野について六つの修正点を挙げている。最高裁判事は弁護士から選ぶこと▽逮捕状を出すことができる機関を裁判所に限ること、などと並んで、陪審制度の採用を求めた。
被告や弁護人が求めた場合、第一審は陪審に付さねばならない▽陪審員は有罪か無罪かを評決する▽無罪評決の場合、事件は終結▽陪審員は、衆院選と同時に国民が選挙――などと書かれている。
陪審制度を求める理由も書かれている。
「裁判に民意を採り入れることは絶対に必要である。このことは、この憲法改正草案の全体を流れている精神に照らして一層明らかである。この草案が陪審制度を採用しなかったのは不可解」
司法改革同志会は、終戦直後に法曹有志によって発足した。戦前に衆院議員だった清瀬氏は陪審法の成立にもたずさわった。戦後は東京裁判の副弁護団長をつとめ、鳩山内閣の文相に就任した。
この修正案は、元国会図書館専門調査員で憲法制定過程に詳しい高見勝利・上智大法科大学院教授も「初めて見る」という。6月に公表された弁護士会案との共通点も多く、高見教授は「同志会という内輪の集まりで作られた案が、後に弁護士会案に格上げされたのではないか」と分析する。
日本では28年から陪審制が採用されていたが、戦況悪化などで43年に停止。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が憲法草案をつくる過程では、陪審制の採用がうたわれていたが途中で消え、現憲法に陪審制は盛り込まれなかった。(谷津憲郎)