【どうなる、どうする裁判員制度】(2)「宙(そら)の会」幹事 入江杏さん 被害者遺族にも寄り添って
私は重大事件の被害者遺族ですが、事件は未解決で(被告人を裁く)法廷には臨めない立場…、司法は遠い存在です。ただ、実際の裁判でも、池田小の児童殺傷事件のご遺族とお会いしたときに遺族が「証拠物」のように扱われ、裁判は血が通っていない印象を受けた、とお聞きしました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090517/trl0905172227001-n1.htm
それだけに、裁判員制度で司法に市民の意見が反映されて血が通えばいいな、という期待はあります。
実は、制度の導入が決まった初期のころから興味はあって、勉強したいと模擬裁判に参加したこともあるんです。そのころから「裁判員に選ばれた人は仕事を休めるのか」といった問題は指摘され、私も見切り発車じゃないか、ほかに司法と市民が身近になる方法はなかったのか、という印象は確かにありました。
だから(施行)目前になって、凍結や廃止を訴える人たちのことも理解できないではありません。それでも、懸案はあっても、スタートする以上は国民として意味ある制度にしたい。もちろん選ばれたら参加します。犯罪被害者遺族になる前と後の自分は違うと思うし、“生き直し”せざるを得なくなって気づいたこともある。裁判員になったら、そんな自分のかかわりのなかで伝えられることもあると思います。
そう、私が被害者遺族としてさまざまな活動をしているのも、突然事件が起きて遺族になった運命を使命に変えてポジティブに考えたいと思ったからです。おめでたいといわれるかもしれないけど、そう考えることが、私の生き直す力にもなっているんです。
裁判員制度も、市民が裁判を変える機会と、できるだけポジティブに考える。あるべき形を望んで作られたエネルギーを評価し、できる限り前向きなものにしていったほうがいい。逆に言うと、そのエネルギーを見いだしていけなければ陳腐なものになってしまうかもしれませんね。