【裁判員制度】陪審制“発祥”の英国 生涯、内容口外でき
【ロンドン=木村正人】日本で裁判員制度が始まるのを前に、陪審制の起源とされる英国の刑事陪審を傍聴した。陪審員には「生涯、評議内容を口外してはならぬ」という重い責務が課されている。裁判の公正を期すため、陪審員に予断を与える事件・裁判報道は法律で禁じられており、報道各社の自主規
制に委ねられている日本とは異なる。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090521/erp0905210040001-n1.htm
4月下旬、ロンドンの刑事法院で傷害事件の公判が開かれていた。陪審員は選挙登録名簿からコンピューターで無作為に選ばれる。公判の当日、裁判所の待合室で15人の名が呼ばれ、入廷後、最終的に12人が選ばれた。陪審員は1人ずつ聖書に手を載せ「証拠に基づき偽りなき評決を下す」と宣誓。裁判官は「いったん法廷を出たら家族や友人にも事件のことは話してはならない」とクギを刺した。
3日間にわたる証拠調べの後、4日目に陪審員12人が別室で評議し、全員一致で無罪の評決を伝えた。評決の理由は示されなかった。誤判を避けるため、評決には少なくとも10人以上の同意が必要だという。
陪審員が下すのは有罪か無罪かだけだ。量刑は裁判官に委ねられており、裁判官と、陪審員に相当する裁判員が評議し決定する日本の裁判員制度とは異なる。
英国の陪審制は12~13世紀に形成された。イングランド王ヘンリー2世が、土地や相続をめぐる民事裁判と、刑事裁判に陪審の原型となる制度を採り入れた。イングランドの最悪の君主とされるジョン王の権限を制限するため、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)で、陪審の評決によらなければ処罰されない、と宣言された。
公正な裁判を受ける権利を保障するため、陪審員を予断や偏見から守る「法廷侮辱」の考えもはぐくまれた。コモン・ロー(一般法)や1981年に成文化された法廷侮辱法により、容疑者が逮捕された後は基本的に名前、住所、年齢、職業、罪名以外は報道できない。公判開始後は法廷記録に基づく報道が認められている。法務長官が「違反」と判断すれば起訴され、有罪なら最長2年の禁固刑や罰金刑が科される。
例えばこんな例がある。2001年4月、英大衆日曜紙サンデー・ミラーは、サッカー選手がアジア系男性を暴行した事件で、暴力行為は人種差別に基づいているという被害者の父親の証言を掲載。裁判官は「陪審員に予断を与える」と公判を中断し、同紙は7万5000ポンド(約1080万円)の罰金を命じられた。
06年に英東部サフォーク州で売春婦が殺害された事件では、法務長官が過熱した報道の自粛を要請。報道は続いたが法廷侮辱法は適用されなかった。評議内容の口外を禁じられた陪審員に裁判所内で話しかけた記者が逮捕された例もある。
テレビ局の顧問弁護士を務めるマイケル・リドリー氏は「記事が法廷侮辱法に違反しないか弁護士が事前にチェックしている」と説明する。だが、「インターネットを通じ流れる情報を規制するのは難しい」(英紙ガーディアンのニック・デーヴィス記者)という。